風呂の中で考えてたこと


世界には何十億人もいる中の1人として存在して、日本の今ここにいる確率を考えてたら、なんかその奇跡的な偶然に驚いてしまった。



厨二病的な考えかもしれないけど、改めてみるとすごいことだと思った。



自分の意思で自分の体を動かすことができるし、何かを意図しながら行動することができる唯一の生物として、生きてることに感謝しなければならないと思った。


いわば、これは自分の力でやりたいことが何でもできるということになる。


しかし、世界には自分の意思ではどうにもすることができない状況や、環境下にあって、厳しい生活を強いられてる国々があることもまた事実である。



けれども、自分が存在しているこの状況はそうではない。
何かにチャレンジしようと思うものなら、ほとんどができてしまう(やる気の問題)、環境なのではないか。


比較の問題であるが、日本では、一度人生のレールから外れたやり直しがきかない国だと巷では言われている。
最近では元A総理大臣が再チャレンジという言葉を声高に強調していたが、それも形骸化してしまってる。


ここで、一旦レールから外れてしまった人に、やる気さえあればなんでもできてしまうとはここでは言いにくい。
社会や、日々の生活が厳しいというのもまた無視すうることのできない事実ではある。


しかし、自分の言いたいことはこれではない。
何かハンデを抱えながら生きている人でも少なからずこの現状でできることは1つはあるはずなのです。
どんなに些細な事でも、自分という資本がある限り何か行動を起こせるはず。


人は1人では生きていけないものでもあるが、それは個人の力量ありきでの共生という概念である
他人を支えていくには、まず、自分という身近な人間を自分の意思で支えなければならない。


幸い、今現在自分が生きている環境は厳しい生活ではあれ、上記で書いたことが達成できる状態である。
自分というものが生まれてきた、この奇跡的な偶然に意味を持たせるためにも、




今この瞬間に自分に何ができるか(それはできない大きなことではなく、できる小さな事でいい) 
これを常に考えながら、前向きに生きていきたい。





gdgdすぎて論文調の意味不明な文章になってしまった。