11-09 誰のための人生なんだよ・・・


最近、いや、前からずっとだけど、誰に対してもええかっこしい態度や行動してるんだよな。後かがら考えて見ればおかしいと気付くんだけど、なぜかそうなってしまう。


ゆえに、ある行動を為す理由として"他人の為"であるなら、多少自分を犠牲にしてでも力を尽くすことができるけど、一方で"自分の為"となると途端にそこから逃避する。


いざ、自分が自分に向き合うとなると、その結果の如何がすべて自分に反映されてしまうからだ。その如何とは、もしかしたら成功かもしれないし、もしかしたら失敗かもしれない。

バイトでの自分と家での自分

たとえば、"バイトでの自分"と"家での自分"がそう。


前者では自分の働きが自分の結果の如何に反映されないから、どれだけ適当にやっても、かたや、頑張っても、その働きが自分に与える影響は皆無。
失敗したとしたら、それはバイトでの自分には影響があるかもしれないが、家での自分(本来の自分)にはその結果に左右されることはない。
だから自由にできるし、結果を気にすることなく作業に集中できる。つまり、責任を相手に求めてる状態。


一方で後者。
ここでの代表的な活動を勉強とする。すべてが自分に直接反映される。その活動を行おうとしても、その後の結果を気にしすぎるまり、行動に支障が出る。バイトでは行動に支障が出ることはない。つまり、自分が背負うべき責任を放棄してる状態。


今となっては、"自分は後先の事を考えちゃうから勉強できない"などと意識して逃避することはないけど、それが習慣化してくると、無意識的に行動を起こすことになって拒否反応がでてくる。机に向かってもすることがわからないときがある。

他者に理由を求めることについて

総括すると、今まで自分の責任において、自分の為の行動を起こしてこなかったことに問題があると思う。
自分の行動の理由を他者に求める。なんでもそう。しかし、他者に行動の理由を求めることの全部が全部悪いというわけではないことも今となっては認識しているつもりではあるけど。


極端だけど平易な例を挙げると、"人助け"。


自分がどう思っているかにかかわらず、"純粋にその人が困っているだろうから助けたい"と考えるのが普通。しばしば偽善的な人助けが槍玉に挙げられることがあるが、その場合は人助けという行動の理由を自分に求めてるから。自分が得したいと思うがゆえの行動。
そういう偽善を除いた純粋な人助けにおいては、一般的に相手が困っているからだ、という他者に自分の行動の理由を求めた結果であるに違いない。


自分と、↑のような行動心理を比較してみると、"家での自分"においても、どこかで"他者に行動の理由を求めることに依存していたい"という思いが無意識的に刷り込まれているがために、自分の責任のもとで行動を起こすことができないのではないか、と考えるに至った。

それなら最初から他者のために行動すればいいのではないか。

ここで自分自身に対して、疑問というか提案が出てくる。
そんなんだったら、別に難しいことごちゃごちゃと考えてないで、最初から"他者の為に行動すればいいんじゃないか"、というそれ。


ならば、とシミュレーションしてみる。

  • 他者のために勉強をする。全然いいじゃない。
    • 社会の役に立ちたいが為に勉強する。いいじゃない。*1


うーん、俺の想像力が及ばないからかもしれないけど、一個しか思いつかなかった。なんでかな。


やっぱり、自分自身に行動の理由を向けないとダメなのか?ということでこっちでもまたシミュレーションしてみる。

  • 自分のために勉強をする。全然いいじゃない。(各項目を具体的に考えればいい)
    • 将来豊かになりたいがために勉強をする。いいじゃない。
    • 教養を増やすために勉強する。いいじゃない。
    • 大学に行くために勉強をする。いいじゃない*2
    • 将来良い環境で働くために勉強する。いいじゃない。


もう少し考えればもっと出てきそう。この違いはなんでかな。

自分自身に行動の理由を求める方法

単純に、モチベーションがあがるのはどっちだ、という話だったらどっちでもいいとは思う。


けど、冒頭でも述べた通り、自分自身のために行動を起こすとなると、自己責任の下、結果の如何がすべて自分にふりかかる。
そのあれこれを考えてしまうがために、行動が起こせなくなる。


だからといって、他者に理由を求めてしまったら、その場その場で一時的にモチベーションはあがって行動が起こせるかもしれないが、その行動が達成してしまった後、次のステップにどう進んでいいかをまた他者に求めなくてはいけない。いわゆる、自分をもってない状態。


これでは自分の存在理由がなおざりになってしまって、一気にモチベーションが下がってしまうのではないか、と考えた。では、自分自身のために行動を起こすためにはどうすればいいか。箇条書きにして考えてみる。

  • 結果の如何を深く考えない。
  • 自分を客観視してみる。
  • 準備に時間をかけてすべきことを具体化してみる(何をすべきかわからない状態ならば((これに対して、"他者に行動理由を求める"場合は、すべきことが明確になっている。)))。
  • できないことはやらない*3
  • 自分が背負う責任を乗り越えた結果、以前と比較して自分がどう変化しているかを想像してみる。


これが最初からできたら苦労しないわな・・・w
やろうとする過程で苦労していかなくちゃいけない部分があるわけだけれども。


ちょっと、これから視点を変えて行動してみる。






9時に寝たら変な時間に起きちゃってごちゃごちゃと先週下書きしておいた記事を追記してみたけど、わかりにくいし論理の流れがむちゃくちゃなので、後日変なところを編集してみよう・・・。


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*1:抽象的だけど、何に対して役に立ちたいのかを掘り下げていったら、全然いいじゃない。

*2:ここがゴールであってはいけないとも思うけどね

*3:できる事とできない事の区別は実際にやろうとしないと分からないことが多いと思うので行動に移そうとする過程で見極める。